医療政策はどこへ行く‐(4)

「事業仕分け」は財務省を正当化する“錦の御旗” - 元財務官僚・村上正泰氏に聞く◆Vol.4
「何がムダか」、基準がない中で議論しても合意形成できず

2009年11月30日 聞き手・橋本佳子(m3.com編集長) より http://www.m3.com/
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――医療の全体像、ビジョンを描いた上で診療報酬の在り方を決めなくてはいけない。ただし、来年の改定までは時間的余裕があまりありません。全体的な底上げ、あるいはせめてどこかを削減するのではなく、重点的な部分のみの引き上げが必要かと。
 そうですね。もっとも、民主党は2007年の参議院議員選挙辺りから、政権を取れる可能性が現実味を増してきたわけです。しかし、今回の衆議院議員選挙のマニフェストについては、選挙直前まで慌しく議論し、医療分野ではないのですが、直前になって文言を変えたり、日米のFTA(自由貿易協定)については鳩山代表がマニフェスト公表後に変更したりするなどしていた。

 2年間あったのですから、もう少し準備をしておくべきだった。政権を取った時に何をやるのか、ビジョンと具体策を党内で議論をしておく必要があったと思います。決して特定の議員の意見をマニフェストに載せるのではなく、党内で議論を積み重ねていく。細かな部分では議員により意見が違う部分もありますが、おおよそ皆が共通認識を共有し合えるものを作成しておくべきであり、それがマニフェストになる。それで選挙を戦い、政権を取ったら政策を実行に移す。


――医療分野に限らず、他の分野でも、マニフェストは党内で十分に議論されたものではないと。
 十分に議論されていない部分は結構あると思います。結局、行政刷新会議は、その是非は別として、実際に動いていますが、国家戦略室は何をやっているのか分からない。選挙前、選挙中は、「国家戦略局」は目玉のように言われていました。しかし、「局」が「室」になってしまった。国家戦略局で、誰が何をやるのか、各省庁とどんな関係で仕事を進めるのか、あらかじめ具体的に決めておいて、政権を取ったらそれを実行に移すという準備があってよかったはずです。

 細川政権の時は自民党がまだ第一党だったので、日本の戦後政治史上、第一党によって政権交代が起きたのは今回が初めて。そのような歴史的な変化なのだから致し方ない面があり、政権交代を繰り返したりする中で、政策決定プロセスなどの体制ができ上がってくるのであり、今は生みの苦しみの時期なのかとも思いますが。


 ――ところで、財務省の官僚は、今の民主党政権をどう見ているのでしょうか。今は様子見、「お手並み拝見」というところでしょうか。
 「お手並み拝見」の部分がある一方、行政刷新会議などを「うまく使おう」と考えているのでは。誰がどう動くか分からないが、重要なところにはうまく人を張り付けておこうと。鳩山総理や平野官房長官だけでなく、菅大臣(国家戦略室担当大臣)、仙谷大臣(行政刷新担当大臣)などにも、財務省から主計局経験者などを秘書官として出しています。


 ――その行政刷新会議がやっている「事業仕分け」をどうご覧になっていますか。
 それなりにいい部分はあるかと思います。明らかに「役所の浪費」の予算もあり、問題を抱えている事業を明らかにしていくという意味で。

 しかし、そもそも「事業仕分け」の位置づけ、行政刷新会議や「仕分け人」の役割、責任はいったい何なのでしょうか。今までも、予算編成の過程で、各省が提出してきた予算を財務省が査定していた。その査定の段階で様々な議論がある。また事業が執行された後で、会計検査院が検査を行う。そこでも「こんなムダがある」と指摘される。また、財務省自身も、予算の執行調査を数年前から開始しています。予算の執行現場に主計局の職員が赴き、チェックして、次の査定の際に反映させることを実施しています。

 「今までやっていても、予算上の問題点を洗い出せていない」という面もあるでしょうが、それに屋上屋を重ねるように「事業仕分け」をやって、どういう責任がどこに生じるのか、財務省の査定との関係はどうなるのかなどが非常に曖昧です。結局、「事業仕分け」でやっても、その結果がどう使われるか分からず、結局、主計局の予算査定に委ねられたのでは、今までとあまり変わらない。それでは、オープンな場での議論が主計局の主張を正当化する“錦の御旗”になるだけ。

 “錦の御旗”を用意することだけが目的ならば、あれだけの労力をかけて実施するのは、それこそムダとして、事業仕分けの対象になるでしょう。

 最終的には行政刷新会議自体が判断するとしていますが、ワーキングチームの結論が重要視されるのであれば、それはそれでまた問題。議論は1時間程度にすぎず、しかも主計局が用意した資料、例えば開業医と勤務医の収入を単純に比較した一方的なデータで議論しており、「仕分け人」も別に医療に詳しい人ばかりではない。中には専門家もいますが、すべてに精通しているわけではない。結局、1時間の中では一面的な一方的な議論になってしまう。

 「事業仕分け」の結論が尊重されないのであれば、「事業仕分けはムダ」であり、尊重されるのであれば、こんな形で政策を決めていいのかと思う。


 ――結論が尊重されても、されなくても問題だと。
 そもそも「何がムダか」は非常に主観的な部分があります。確かに誰が考えても、ムダだと言えるものがありますが、金額的にはわずかでしょう。圧倒的大多数の事業は結局、政策判断で、「こうした優先順位で政策をやっていきましょう」という中で、予算が付けられ、事業が行われているわけです。

 例えば、民主党がマニフェストに掲げている、「子ども手当て」「高速道路の無料化」は、こうしたものを必要とする立場からすれば、「ぜひやらなくてはいけない」と考えるでしょう。しかし、一方で「バラマキだ」という批判もあるわけです。結局、何がムダか、政策順位をどう考えるかは政策判断だと思うのです。誰もが納得する客観的な基準などはありません。にもかかわらず、1時間ほど議論して、「見直すべき」「予算縮減」など多数決を取るのは、あまりに荒っぽい。

 「公開でやることに意義がある」という主張には、確かに一理あるでしょう。しかし、従来のような密室での数字合わせがいいとは思いませんが、そもそも何がムダかという基準がない中で、公開して実施しても合意形成が簡単にできるものではありません。科学技術の研究費も削減され、科学者からは問題視する声が上がっている。そうなると、かえって収拾がつかなくなってしまう。


 ――事業仕分けで一定の結論が出ると、それを変更するにも、説明責任が生じるなど、非常に大変なことです。
 「事業仕分け」が全くヘンなものだとは言いません。うまく使えば様々な事業の問題点の洗い出しができるでしょう。しかし、今のようにパフォーマンスに走りながらやるのはいかがかと。

 結局、仙谷大臣も、当初は「3兆円の削減を目指して」と言っていましたが、最近は「金額ありきではない」と言い方を変えている。「3兆円」とあらかじめ数値目標を掲げると、結局、3兆円積み増すのが自己目的化してしまう。

 民主党は選挙前に、財源を聞かれ、「ムダ遣いの排除」で捻出すると言ってしまった。こうした文脈の中で実際にやる段階で、「事業仕分け」に飛び付いてしまった感があります。「事業仕分け」を絶対的なものとせず、使えるところでうまく使いながら、という程度でいいのでは。


2009年12月14日