医療政策はどこへ行く‐(2)
社会保障国民会議で抑制論から転換の兆し- 元財務官僚・村上正泰氏に聞く◆Vol.2
医療者だけでなく、患者・国民にも医療への危機感
2009年11月25日 聞き手・橋本佳子(m3.com編集長) より http://www.m3.com/
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――麻生政権時代の社会保障国民会議は、2008年11月に報告書をまとめています。
医療・介護費用についてシミュレーションし、複数の改革シナリオを提示して、負担増にも言及しています。 この会議では、原点に立ち戻った議論が行われたとお考えですか。
今までの議論と方向性は変わってきたと思います。
従来の医療制度改革は、
「2025年の医療費はこれくらいですが、改革を実施すれば、この程度に削減できます」という議論ばかりやっていた。これに対し、社会保障国民会議では、「こういう改革を実施したら、このくらい医療費が増える」
という議論だった。ただ、その際の議論の中身は、
「急性期医療の部分はマンパワーを充実して、在宅医療も整備し、平均在院日数は短縮する」
といった内容にとどまっています。
ではこうした改革を実施した時にどんな医療が実現するか、もう少しビジョンがほしかった。また、幾つかの改革シナリオを提示していますが、結局、医師数や平均在院日数を変数としている程度で、シナリオの中で、「どれを選びますか」と聞かれても、大差がなければ選びにくい。とはいえ、不満もありますが、議論が変化してきたことは確かです。
――なぜ長年続いてきた医療費抑制という議論の方向性が変わってきたのでしょうか。
やはり小泉改革で、ここ数年、相当荒っぽく改革をやりすぎて、医療崩壊を招いた。「このままでは安心して医療が受けられない」という声が、医療者だけでなく、患者、国民からも強くなってきたことが大きいと思います。
――しかし、社会保障国民会議では、平均在院日数など以外の新しい指標が打ち出せなかった。
「在宅医療、介護なども含めて、退院後も安心して生活できる体制作り」は、長年指摘されてきた話。これは正しい方向性ですが、社会保障国民会議のビジョンはこれだけなのか。またこのビジョンを掲げるとしても、これまで遅々として実現できなかったのはなぜか、本当にこれを進めていくには何が必要なのか、という議論が少なかった。
在宅医療は、診療報酬上で重点評価する程度ではなかなか進みません。在宅医療を推進するのであれば、様々な側面から条件整備を行う必要があります。
――ビジョンに新しさや具体性がないとのことですが、例えばどんなビジョンをお考えですか。
結局、同じような方向になるとは思うのですが、在宅シフトを進めるという政策の根底にも、医療費抑制の発想があります。この考え方で組み立てていくと、絶対にうまくいかない。そうではなく、「在宅医療がいい」のであれば、在宅へのシフトが進んだ結果、医療費が増えても構わないという発想でスタートしないと、急性期から慢性期、さらには在宅への流れは永遠に「絵に描いた餅」でしょう。医療費抑制を出発点にすると、政策自体も非常に荒っぽいものになる。療養病床の再編がその典型。本来であれば、療養病床を削減するのであれば、慢性期の医療の在り方、医療と介護の関係、さらには受け皿の整備の議論から進めるべき。しかし、実際には「医療費抑制」から議論がスタートした。だから「病床を減らす」という数値目標をまず掲げる。その後のことはそれから考えるという、厚労省の政策の荒っぽさにつながる。後期高齢者医療制度にしても、荒っぽく映っている部分はこの辺りが原因ではないでしょうか。
こうした思考であれば、厚労省の役人がじっくりと物事を考えて決めるという雰囲気も失われる。また実際に時間的な余裕もないのが事実でしょう。
――厚労省は、他省庁と比べて多忙なのでしょうか。
省内で余裕がある部署があれば、そこから多忙な部署に職員を配置できます。しかし、今はどの部署も忙しい。また各部署にはそれなりに職員はいますが、各部署が抱えている業務の多さ、責任の重さ、重要性は相当なものだと思います。日々の業務をこなしながら、次の政策を考えていくだけの物理的な余裕があまりない。
――財務省との比較ではどうなのでしょうか。
例えば、財務省主計局は、各省庁との間で予算の交渉はしますが、主計局が矢面に立って国民と接することはほとんどありません。国民、あるいは利害関係者と直接接して、時には対峙するのは各省庁です。特に厚労省の仕事は国民生活に密接につながっているだけに、政策的な問題、失敗があった時にそれだけ批判もダイレクトに受ける。それに向き合うのは、大変だと思います。もっとも、政策の失敗は自分が招いているという自己責任はありますが。
2009年12月10日