「ワクチンで予防できる病気」についての勉強会 お知らせ
聖路加看護大学で、学生と地域の方を対象としたワクチンについての勉強会が企画されています。
新型インフルエンザのワクチンについて優先順位や余り等の報道はよく目にしますが、
ワクチンとは何か、どんな病気を防げるのかについては知らない方も多いのではないでしょうか。
通常あまり議論されない
ワクチンの基本について学ぶ良い機会だと思います。
「ワクチンで予防できる病気」についての勉強会 PDF(197KB)
2010年2月13日
予防接種部会傍聴記~3つの懸念で膨らんだ不安~
予防接種部会傍聴記~3つの懸念で膨らんだ不安~
細菌性髄膜炎から子どもたちを守る会 事務局長 高畑紀一
2010年2月5日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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昨年12月25日の第1回開催に続き、1月15日、27日にそれぞれ第2回、第3回の厚生科学審議会感染症分科会予防接種部会が開かれた。
上田博三健康局長が表明した「不退転の決意」に、「ワクチン・ギャップ解消」という積年の願いが叶うか否か、希望と不安の双方を抱きつつ傍聴しているのだが、早くも不安が大きくなりつつある。
【実質的な議論がほとんどされなかった第2回部会】
15日に開かれた第2回部会では、残念ながら本質的な議論はほとんど交わされなかった。
特措法で対応した今回の新型インフルエンザに係るワクチン接種を予防接種法に位置づけるための議論を優先したい事務局の意図が、議事にうまく反映されていなかったのが、その大きな理由なのだが、議事次第の一つ目の項目が「予防接種制度について」であり、配布資料の1が「予防接種に関する主要論点について(案)」であったのだから、「まずは新型インフルエンザを予防接種法に位置づけるというパッチを当てる作業」を優先したいという事務局の意図は、委員にとってはくみにくかったであろう。
第3回部会では事務局から議論の叩き台となる素案を提示することとなったが、新型インフルエンザ対策を入り口にして予防接種法全体のあり方を見直そうという部会の舞台設定の歪さが早くも露呈したといえよう。
【新型インフルを入り口に議論する歪さ】
先に書いてしまうが、私はこの「歪さ」に大きな不安を感じている。
この間、事務局が強調するのは、現在の予防接種法では対応できずに特措法で対応せざるを得なかった新型インフルエンザ対策を予防接種法に位置づけるという、「予防接種法の穴にパッチをあてる作業」を優先し、その後にヒブワクチンをはじめとするワクチンの予防接種法への位置づけや情報提供のあり方等の予防接種法全体の議論を行なうというスケジュールだ。
私は、現在の予防接種法は法も目的から改める必要があると考えている。法の目的はその法律の基礎となるものである。基礎があるべき姿では無い以上、その上にどのような制度を設計しても、その制度は健全に機能しないであろう。
現に1類、2類という馬鹿げた区分をもうけた「欠陥住宅」というべき法が形作られている。
その欠陥住宅にどんなに上手くパッチを当てようとしても、それは欠陥を覆う作業でしかなく、むしろ根本的な改善にはマイナスに作用しかねない。
新型インフルエンザ対策を予防接種法に組み入れるというパッチは、当面の応急措置ということなのだろうが、欠陥法と言えども法律は法律である。一旦、「改正予防接種法」として施行されてしまえば、それは国会での承認を与えられた正当な法律となる。
部会で「とりあえず」と言いながら、欠陥を抱えた基礎の上に何とか整合性を持った「パッチ」を当てるための議論を重ねることが、結果としてその欠陥を覆い隠すパッチの正当性を増強するのではないか、その正当性をその後に覆すことは、今以上に困難になるのではないか、そのような危惧を抱いているのである。
【第3回部会で抱いた3つの懸念】
27日の第3回部会では、早くもその懸念が現実のものとなりそうな雲行きであった。
私が抱いた懸念は、主に次の3点である。
1)新型インフルエンザを新設する「2類」の臨時接種とした上で、定期の2類に移行す
るようにする
2)製造販売業者・卸売販売業者への協力を求める仕組みを法律に盛り込む
3)接種方針の遵守を徹底し、医師会が現場の医師を取り締まる役割を果たす
前もって述べておくが、新型インフルエンザ対策を入り口にして予防接種法全般の議論に発展させていくという手法について、私は全面否定するつもりはない。
むしろ、過去の予防接種について積極的に議論することさえ憚れる状況を鑑みるにつけ、また、ワクチン・ギャップの一日も早い解消に向けた議論を一刻も早くスタートさせるためにも、政治的にこのような設定による議論を推し進めることは一つの判断として尊重もしている。
ただし、新型インフルエンザワクチンの予防接種を予防接種法に盛り込む必要最低限の改正を優先した上で、そのパッチも含めた「欠陥住宅」全体をゼロベースから議論するべきだという留保を付け加えた上で容認するのである。
ゼロベースで議論するためには、新型インフルエンザについては臨時接種を予防接種法に位置づける、ただそれだけの議論にとどめるべきである。
余計なものを加えていっては、その後の予防接種方全体の議論がゼロベースからではなくなっていってしまう。
そのような考え方に立っているからこそ、私は上記3点は、まさに「余計なもの」であると言わざるを得ない。
長文になることを避けるため、詳しくは言及しないが、1)については、新型インフルエンザを臨時接種に位置づければ済むのであり、2類による定期接種に位置づける緊急性は全く無い。2類は第2回の部会で黒岩祐治委員が1類、2類という区分けそのものに疑問を呈していたように、今後、あり方そのものについて議論すべきものである。
2)については、そもそも法に盛り込むべきものであるのだろうかという疑問を禁じえない。協力を求める先としては、少なくても製造販売業者については国内業者を想定しているのであろう。
今回の新型インフルエンザワクチン確保においても、政府は国内業者に対し様々な協力を求めている。
そして、その要請は法的に裏付けの無い、任意のものであった。このことが今回の対応において、大きな障壁となったのであろうか。部会において、法に盛り込む必要性は説明されていない。繰り返しになるが、新型インフルエンザの予防接種法への位置づけは、必要最小限にとどめるべきである。
必要性の説明が無いまま、大きな障害をもたらさなかった業者への協力依頼について、敢えて法に盛り込む必要は無いのではないか。
3)については、箸の上げ下ろしまで指示しようという愚策でしかない。ワクチンの確保が十分でない段階では、国が優先接種順位を示す必要があるであろう。だが、その優先順位は金科玉条の如く絶対に守らなければならないものではないはずだ。
10mlバイアルの使い勝手の悪さは多くの接種医から指摘されたことだが、それでも10mlバイアルによる出荷を断行したのは、10mlバイアルは瓶等への付着残留によるワクチンのムダを省き、一人でも多くの接種希望者にワクチンを行き渡らせるための手段であったはずだ。
その目的からしても、一瓶を使い切るにちょうどの優先接種対象者が同日に揃わなければ、次のカテゴリー、その次のカテゴリーと前倒しで希望者に接種するのは至極適切なことではないか。
たとえ、最終的に健康成人に接種することになったにせよ、無駄に破棄するよりはよほど良い。
最近も国産ワクチンがだぶつき輸入ワクチンの解約の可能性が喧伝される一方で、沖縄県が一人でも多くの接種希望者に接種しようと浪人生への接種方針を打ち出したところ、国が待ったをかけたという馬鹿げた事件が起こっている。
一定の指針は国が示す、だが最終的には現場が判断する、という考え方を医師の代表たる日本医師会代表は主張すべきではないのか。
【部会設置の精神を忘れるべからず】
ざっと駆け足で第2回、第3回の予防接種部会を傍聴した感想を書き連ねてきた。新型インフルエンザワクチンを議論の入り口とする以上、ある程度の「歪さ」を伴うことは致し方ないことなのかもしれない。
だが、第1回部会で上田博三健康局長が表明した「不退転の決意」による予防接種法の大改正を見据えた部会であるのだから、新型インフルを予防接種法に組み込む作業は必要最小限に留め、ゼロベースで予防接種法改正の議論に取り掛かるべきであろう。そのためには、第3回部会で抱いた3つの懸念のような余計な事柄は今回の法改正に盛り込むべきではない。
余計なものが盛り込まれれば盛り込まれるほど、それは予防接種法の大改正の障壁となり、「ワクチン・ギャップ解消」の道が遠のくことになる。それは予防接種部会を立ち上げた政治主導の精神に反することに他ならない。
第4回部会での軌道修正を強く望むものである。
2010年2月6日
医療政策はどこへ行く‐(5)
霞が関の在り方に疑問を覚えたのが退職理由 - 元財務官僚・村上正泰氏に聞く◆Vol.5
官僚は数字、辻褄合わせの議論、視野が狭い議論に終始
2009年12月3日 聞き手・橋本佳子(m3.com編集長) より http://www.m3.com/
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――最後にお聞きしたいのですが、最初は財務省に入省され、2004年7月から2年間、厚労省に出向されています。「医療崩壊の根本原因は、医療費抑制政策にある」といった今日お聞きしたようなお考えは、出向以前の段階からお持ちだったのでしょうか。
出向前までは医療制度のことはあまり知りませんでした。仕事の上でも、出向前に財務省で医療関係の業務に携わるということはありませんでした。むしろ私がいた厚労省保険局への出向ポストは、財務省に戻って数年経つと、厚労省の手の内を熟知しているということで、主計局厚生労働第3係の主査になるという人事が続いています。
ただ、私は経済学部出身で、「国民負担率を抑えるべき」という議論には疑問を持っていました。先ほども触れましたが、様々な実証研究からは、「国民負担率と経済成長率は、相関関係がない」という分析がたくさん出ていたからです。厚労省に実際に行ってから、医療政策の観点から見て、国民負担率を抑制すべきという論はおかしい、という思いを強めました。
――そして厚労省を最後に、財務省に戻らず、退職されました。
霞が関の在り方への疑問が次第に募ってきたのが理由です。政策がどうあるべきかよりも、まず前例との整合性を考える。政治的に必要とされるところもある。まず結論が先にあり、その結論を導くための数字合わせ、辻褄合わせに、非常に労力が割かれる。本来、この国がどうあるべきか、政策で何を目指すべきかという議論が非常に薄い。こうした中で政策を決めていくことに違和感があり、その結果、本当にいい政策になっているのかについても疑問がありました。
さらに役所は本当に縦割りであるという問題もあります。自分の担当分野から政策を考えていくのは、縦割り組織の中である程度仕方がないのですが、医療分野も、他の分野でも、社会は非常に多面的。様々な要素が絡み合っており、より広く様々な観点から検討しなければならないのに、役人は視野の狭い、悪い意味での専門家になっている。自分の観点からだけを見て政策を考える。さらに言えば、本当に専門家なのか。国会対応などの事務にも追われて、専門家としての知識や能力を養うような時間的余裕もあまりない。役人は悪循環に陥っています。
また役人にとっては、政治家への根回しにどれだけ長けているか、それが評価の尺度にもなります。それも一つの能力であり、重要ですが、そればかりが重視されるところがある。その前に政策がどうあるべきかを論じる必要があるのに、「A先生とB先生が言っているのを、いかに足して2で割るか」といった点に力が注がれている。
――その辺りは民主党政権になって変わってきたのでは。
役所によって強弱があり、違うのですが、厚労省が一番変わったという評判を聞きます。「政務三役が何でも決める、官僚排除」だと。こうなると官僚は今までのやり方と全く違うので、戸惑っていることでしょう。
今まで「官僚主導だった」と言われていますが、「政治家と一体でやってきた」という表現の方が正しいのではないでしょうか。
政治家の無理も聞いてきた。政治家の意見をどう条文に反映させるか、細かい点まで気を配っていた。結局、政治家が官僚に過度に依存しすぎてきたわけです。もちろん問題は官僚の側にもあると思いますが、政治家の側により大きな問題があった。結局、政治家も一人ひとりがすべてをカバーすることができず、それなりに手足、知恵袋が必要。政治家が、霞が関の官僚以外に政策を論議できる層の厚みを作ることに欠けていたことに、大きな問題があったのではないでしょうか。
2009年12月15日
医療政策はどこへ行く‐(4)
「事業仕分け」は財務省を正当化する“錦の御旗” - 元財務官僚・村上正泰氏に聞く◆Vol.4
「何がムダか」、基準がない中で議論しても合意形成できず
2009年11月30日 聞き手・橋本佳子(m3.com編集長) より http://www.m3.com/
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――医療の全体像、ビジョンを描いた上で診療報酬の在り方を決めなくてはいけない。ただし、来年の改定までは時間的余裕があまりありません。全体的な底上げ、あるいはせめてどこかを削減するのではなく、重点的な部分のみの引き上げが必要かと。
そうですね。もっとも、民主党は2007年の参議院議員選挙辺りから、政権を取れる可能性が現実味を増してきたわけです。しかし、今回の衆議院議員選挙のマニフェストについては、選挙直前まで慌しく議論し、医療分野ではないのですが、直前になって文言を変えたり、日米のFTA(自由貿易協定)については鳩山代表がマニフェスト公表後に変更したりするなどしていた。
2年間あったのですから、もう少し準備をしておくべきだった。政権を取った時に何をやるのか、ビジョンと具体策を党内で議論をしておく必要があったと思います。決して特定の議員の意見をマニフェストに載せるのではなく、党内で議論を積み重ねていく。細かな部分では議員により意見が違う部分もありますが、おおよそ皆が共通認識を共有し合えるものを作成しておくべきであり、それがマニフェストになる。それで選挙を戦い、政権を取ったら政策を実行に移す。
――医療分野に限らず、他の分野でも、マニフェストは党内で十分に議論されたものではないと。
十分に議論されていない部分は結構あると思います。結局、行政刷新会議は、その是非は別として、実際に動いていますが、国家戦略室は何をやっているのか分からない。選挙前、選挙中は、「国家戦略局」は目玉のように言われていました。しかし、「局」が「室」になってしまった。国家戦略局で、誰が何をやるのか、各省庁とどんな関係で仕事を進めるのか、あらかじめ具体的に決めておいて、政権を取ったらそれを実行に移すという準備があってよかったはずです。
細川政権の時は自民党がまだ第一党だったので、日本の戦後政治史上、第一党によって政権交代が起きたのは今回が初めて。そのような歴史的な変化なのだから致し方ない面があり、政権交代を繰り返したりする中で、政策決定プロセスなどの体制ができ上がってくるのであり、今は生みの苦しみの時期なのかとも思いますが。
――ところで、財務省の官僚は、今の民主党政権をどう見ているのでしょうか。今は様子見、「お手並み拝見」というところでしょうか。
「お手並み拝見」の部分がある一方、行政刷新会議などを「うまく使おう」と考えているのでは。誰がどう動くか分からないが、重要なところにはうまく人を張り付けておこうと。鳩山総理や平野官房長官だけでなく、菅大臣(国家戦略室担当大臣)、仙谷大臣(行政刷新担当大臣)などにも、財務省から主計局経験者などを秘書官として出しています。
――その行政刷新会議がやっている「事業仕分け」をどうご覧になっていますか。
それなりにいい部分はあるかと思います。明らかに「役所の浪費」の予算もあり、問題を抱えている事業を明らかにしていくという意味で。
しかし、そもそも「事業仕分け」の位置づけ、行政刷新会議や「仕分け人」の役割、責任はいったい何なのでしょうか。今までも、予算編成の過程で、各省が提出してきた予算を財務省が査定していた。その査定の段階で様々な議論がある。また事業が執行された後で、会計検査院が検査を行う。そこでも「こんなムダがある」と指摘される。また、財務省自身も、予算の執行調査を数年前から開始しています。予算の執行現場に主計局の職員が赴き、チェックして、次の査定の際に反映させることを実施しています。
「今までやっていても、予算上の問題点を洗い出せていない」という面もあるでしょうが、それに屋上屋を重ねるように「事業仕分け」をやって、どういう責任がどこに生じるのか、財務省の査定との関係はどうなるのかなどが非常に曖昧です。結局、「事業仕分け」でやっても、その結果がどう使われるか分からず、結局、主計局の予算査定に委ねられたのでは、今までとあまり変わらない。それでは、オープンな場での議論が主計局の主張を正当化する“錦の御旗”になるだけ。
“錦の御旗”を用意することだけが目的ならば、あれだけの労力をかけて実施するのは、それこそムダとして、事業仕分けの対象になるでしょう。
最終的には行政刷新会議自体が判断するとしていますが、ワーキングチームの結論が重要視されるのであれば、それはそれでまた問題。議論は1時間程度にすぎず、しかも主計局が用意した資料、例えば開業医と勤務医の収入を単純に比較した一方的なデータで議論しており、「仕分け人」も別に医療に詳しい人ばかりではない。中には専門家もいますが、すべてに精通しているわけではない。結局、1時間の中では一面的な一方的な議論になってしまう。
「事業仕分け」の結論が尊重されないのであれば、「事業仕分けはムダ」であり、尊重されるのであれば、こんな形で政策を決めていいのかと思う。
――結論が尊重されても、されなくても問題だと。
そもそも「何がムダか」は非常に主観的な部分があります。確かに誰が考えても、ムダだと言えるものがありますが、金額的にはわずかでしょう。圧倒的大多数の事業は結局、政策判断で、「こうした優先順位で政策をやっていきましょう」という中で、予算が付けられ、事業が行われているわけです。
例えば、民主党がマニフェストに掲げている、「子ども手当て」「高速道路の無料化」は、こうしたものを必要とする立場からすれば、「ぜひやらなくてはいけない」と考えるでしょう。しかし、一方で「バラマキだ」という批判もあるわけです。結局、何がムダか、政策順位をどう考えるかは政策判断だと思うのです。誰もが納得する客観的な基準などはありません。にもかかわらず、1時間ほど議論して、「見直すべき」「予算縮減」など多数決を取るのは、あまりに荒っぽい。
「公開でやることに意義がある」という主張には、確かに一理あるでしょう。しかし、従来のような密室での数字合わせがいいとは思いませんが、そもそも何がムダかという基準がない中で、公開して実施しても合意形成が簡単にできるものではありません。科学技術の研究費も削減され、科学者からは問題視する声が上がっている。そうなると、かえって収拾がつかなくなってしまう。
――事業仕分けで一定の結論が出ると、それを変更するにも、説明責任が生じるなど、非常に大変なことです。
「事業仕分け」が全くヘンなものだとは言いません。うまく使えば様々な事業の問題点の洗い出しができるでしょう。しかし、今のようにパフォーマンスに走りながらやるのはいかがかと。
結局、仙谷大臣も、当初は「3兆円の削減を目指して」と言っていましたが、最近は「金額ありきではない」と言い方を変えている。「3兆円」とあらかじめ数値目標を掲げると、結局、3兆円積み増すのが自己目的化してしまう。
民主党は選挙前に、財源を聞かれ、「ムダ遣いの排除」で捻出すると言ってしまった。こうした文脈の中で実際にやる段階で、「事業仕分け」に飛び付いてしまった感があります。「事業仕分け」を絶対的なものとせず、使えるところでうまく使いながら、という程度でいいのでは。
2009年12月14日
医療政策はどこへ行く‐(3)
次期診療報酬改定は民主党の医療政策の試金石 - 元財務官僚・村上正泰氏に聞く◆Vol.3
今の議論を見ると、政権交代した意味があるのかと思う
2009年11月27日 聞き手・橋本佳子(m3.com編集長) より http://www.m3.com/
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――社会保障国民会議で「医療費抑制政策」の方向性が変わってきた。そうした中で、民主党政権が誕生しました。まず民主党のマニフェストに対する評価をお聞かせください。
最初にマニフェストを見た時は、「医療費をOECD平均並みに増やす」ことを打ち出していたので、方向性としては期待していました。ただ、いつまでに増やすのかなどの具体性に欠ける上、医療についての理念が見えてこない。医療以外でも「子ども手当て」の創設を打ち出すなど、社会政策を重視する方向性は伺えますが、一方で、“ムダを排除する”など、構造改革的、小泉改革的な路線も見える。両方の要素が混在しており、両者の整理が理念上、あまりなされていない印象を持ちました。
――「期待していた」とは、過去形なのでしょうか。
医療の今後の方向性を占う上でも、今回の診療報酬改定が重要だと思うのです。医療政策をどうするか、民主党の姿勢が一番、はっきり現れる。現時点は、まだ議論の過程であり、結論が出ているわけではないのですが、野田財務副大臣などが、財務省主計局とほとんど同じことを言っているわけです。政治家としての発言なのか、主計局に言われたことを言っているだけなのか。「診療報酬の配分を見直し、開業医から勤務医に回し、全体としては上げない」という発言は、主計局に踊らされているとしか思えない。
長妻厚労大臣も、発言が揺れており、以前は「診療報酬を増やさなければいけない」と言っていた。しかし、最近、「上げ幅をなるべく抑えて」と発言しており、厚労大臣の発言としてはきわめて不適切だと思います。
このように今は「診療報酬全体は押さえ、配分の見直しで改定」という議論が非常に強い。それはおかしいのではないでしょうか。
従来から「開業医は儲けすぎ」という議論があります。財務省が昔から言っていたことで、今回の行政刷新会議の「事業仕分け」でも議論になりました。しかし、それが果たして本当なのか、実態を反映しているのか、という点は実は明確になっていません。
多くの方が指摘していますが、個人開業医の収入には、将来の設備投資のための積立や、退職金引当金に相当する部分などが含まれており、勤務医との単純な収入比較はできません。さらに「事業仕分け」では、診療報酬への「公務員人件費・デフレの反映」なども言われていますが、これも一方的な議論です。
こうした議論を続けているのだったら、政権交代の意味がない。政権交代はいったい何だったのかと。主計局が「医療費抑制」を主張していた時代と変わりません。
――そもそも主計局はなぜ、「医療費抑制」を掲げ続けるのでしょうか。仕事だから抑制政策を訴えるのか、財務官僚の個人的な見解としてはどうお考えなのか。
それは個人にもよるでしょう。ただ財務省は最初は厳しい玉を投げるものです。「診療報酬本体でプラスマイナスゼロ」は、最終的には無理だと分かっていても、財務省からは最初から緩やかなことは言えない。しかし、今のやり方を見ていると、財務省の厳しい玉を受けて、落とし所を探っていくという従来の手法と変わらない。
「政治主導」と言うのであれば、まず医療政策のビジョンがどうあるべきか、その議論から入っていく必要があるのでは。
――今回の診療報酬改定は、今後の民主党の医療政策を占う上で重要とのことですが、長年の政策決定プロセスや方針を変えるのは容易ではありません。今、この時点で何をすべきでしょうか。
財務省も、勤務医対策の必要性は認めており、急性期、救急、産科、小児医療なども評価しなければならないと言っています。その財源を開業医の側から持ってこようとしている。しかし、診療報酬はマイナス改定が続き、様々な部分が痛んでいる。全体的な底上げをやらなければいけない時に、配分の議論で全体としてプラスマイナスゼロにしたら、解決にならない。例えば、診療所は外来で重要な機能を担っているわけです。そこを削り、診療所が窮地に陥り、診療所の患者が病院に押しかけたら、ますます勤務医は疲弊します。
道路や橋などの公共事業は、「これは不要」と思えば、その部分だけを中止することが可能です。道路に当てる予定の予算は浮きます。しかし、医療費に効率化の余地があるとは思うのですが、医療の場合、「ここにムダがある」と言って、すぐにその部分を削減・廃止することはできません。効率化するにしても、徐々に時間をかけながら、進めていくことになると思うのです。
例えば、ジェネリックを普及させ、医療費を削減するという議論があります。しかし、一気に普及して、医療費が一気に下がるようなことにはなりません。ジェネリックの有効性や安全性について関係者が共有するなどの条件整備が必要で、普及には時間がかかります。
――医療費を効率化できる余地があると思うのは、どんな部分でしょうか。
明確に「ここにムダがあり、これだけ減らせる」とは、なかなか言えないのではないでしょうか。例えば、複数の医療機関を受診して、多くの薬をもらう。結局、ほとんど服用せず、患者の自宅に残っているケースがあります。しかし、一気にこの問題を解決することは難しい。
あるいは軽症の患者でも、大病院を受診する。その分の医療費は効率化できるとは思いますが、一気には難しい。厚労省も今まで診療報酬で、例えば診療所の外来機能、病院の入院機能を重点的に評価するなどしてきましたが、なかなかうまくいかない。そこで、かかりつけ医的な機能を制度化するという話になります。方向性はいいでしょうが、それを進めるためには、信頼できるかかりつけ医を養成し、患者が適切なかかりつけ医を選べる仕組みを作っていかなければいけない。その上で、病診連携を進めていく。
医療の効率化は、相当長い目で考えていく必要があります。それを道路や橋のように、不要だからスパッと廃止して効率化できる、医療費を浮かすと考えるのは「幻想」で、危険な議論です。
――療養病床の削減も同様です。先ほども話がありましたが、まず「削減目標ありき」で、医療提供体制の話は二の次になった。
結局、最初に削減目標を立て、その受け皿は各都道府県が計画して整えますとしているだけです。医療提供体制は、急性期の入院医療、慢性期医療、診療所の外来医療、在宅医療がそれぞれ別個に存在するわけではなく、密接につながっている中で医療が成り立っているわけです。「ここにムダがある」「ここを手厚くするために、こちらには痛みを」という構図は、どこかに過度の負担がかかり、ひずみが生じる。システム全体を壊しかねません。
財務省が昔ながらの主張をするのは、「またか」という感じ。しかし、事業仕分けの議論の影響を受けて、長妻大臣まで「上げ幅なるべく抑えて、配分を見直してやる」という話をするのは、おかしい。
長妻大臣の場合、社会保障、特に医療にはあまりかかわってこなかった。どちらかと言えば、「ムダの排除」が得意なのではないでしょうか。だから、「ここにムダがある。ムダは減らさなければいけない」といった財務省的な議論に、親和性を覚えているのかもしれません。
2009年12月13日
医療政策はどこへ行く‐(2)
社会保障国民会議で抑制論から転換の兆し- 元財務官僚・村上正泰氏に聞く◆Vol.2
医療者だけでなく、患者・国民にも医療への危機感
2009年11月25日 聞き手・橋本佳子(m3.com編集長) より http://www.m3.com/
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――麻生政権時代の社会保障国民会議は、2008年11月に報告書をまとめています。
医療・介護費用についてシミュレーションし、複数の改革シナリオを提示して、負担増にも言及しています。 この会議では、原点に立ち戻った議論が行われたとお考えですか。
今までの議論と方向性は変わってきたと思います。
従来の医療制度改革は、
「2025年の医療費はこれくらいですが、改革を実施すれば、この程度に削減できます」という議論ばかりやっていた。これに対し、社会保障国民会議では、「こういう改革を実施したら、このくらい医療費が増える」
という議論だった。ただ、その際の議論の中身は、
「急性期医療の部分はマンパワーを充実して、在宅医療も整備し、平均在院日数は短縮する」
といった内容にとどまっています。
ではこうした改革を実施した時にどんな医療が実現するか、もう少しビジョンがほしかった。また、幾つかの改革シナリオを提示していますが、結局、医師数や平均在院日数を変数としている程度で、シナリオの中で、「どれを選びますか」と聞かれても、大差がなければ選びにくい。とはいえ、不満もありますが、議論が変化してきたことは確かです。
――なぜ長年続いてきた医療費抑制という議論の方向性が変わってきたのでしょうか。
やはり小泉改革で、ここ数年、相当荒っぽく改革をやりすぎて、医療崩壊を招いた。「このままでは安心して医療が受けられない」という声が、医療者だけでなく、患者、国民からも強くなってきたことが大きいと思います。
――しかし、社会保障国民会議では、平均在院日数など以外の新しい指標が打ち出せなかった。
「在宅医療、介護なども含めて、退院後も安心して生活できる体制作り」は、長年指摘されてきた話。これは正しい方向性ですが、社会保障国民会議のビジョンはこれだけなのか。またこのビジョンを掲げるとしても、これまで遅々として実現できなかったのはなぜか、本当にこれを進めていくには何が必要なのか、という議論が少なかった。
在宅医療は、診療報酬上で重点評価する程度ではなかなか進みません。在宅医療を推進するのであれば、様々な側面から条件整備を行う必要があります。
――ビジョンに新しさや具体性がないとのことですが、例えばどんなビジョンをお考えですか。
結局、同じような方向になるとは思うのですが、在宅シフトを進めるという政策の根底にも、医療費抑制の発想があります。この考え方で組み立てていくと、絶対にうまくいかない。そうではなく、「在宅医療がいい」のであれば、在宅へのシフトが進んだ結果、医療費が増えても構わないという発想でスタートしないと、急性期から慢性期、さらには在宅への流れは永遠に「絵に描いた餅」でしょう。医療費抑制を出発点にすると、政策自体も非常に荒っぽいものになる。療養病床の再編がその典型。本来であれば、療養病床を削減するのであれば、慢性期の医療の在り方、医療と介護の関係、さらには受け皿の整備の議論から進めるべき。しかし、実際には「医療費抑制」から議論がスタートした。だから「病床を減らす」という数値目標をまず掲げる。その後のことはそれから考えるという、厚労省の政策の荒っぽさにつながる。後期高齢者医療制度にしても、荒っぽく映っている部分はこの辺りが原因ではないでしょうか。
こうした思考であれば、厚労省の役人がじっくりと物事を考えて決めるという雰囲気も失われる。また実際に時間的な余裕もないのが事実でしょう。
――厚労省は、他省庁と比べて多忙なのでしょうか。
省内で余裕がある部署があれば、そこから多忙な部署に職員を配置できます。しかし、今はどの部署も忙しい。また各部署にはそれなりに職員はいますが、各部署が抱えている業務の多さ、責任の重さ、重要性は相当なものだと思います。日々の業務をこなしながら、次の政策を考えていくだけの物理的な余裕があまりない。
――財務省との比較ではどうなのでしょうか。
例えば、財務省主計局は、各省庁との間で予算の交渉はしますが、主計局が矢面に立って国民と接することはほとんどありません。国民、あるいは利害関係者と直接接して、時には対峙するのは各省庁です。特に厚労省の仕事は国民生活に密接につながっているだけに、政策的な問題、失敗があった時にそれだけ批判もダイレクトに受ける。それに向き合うのは、大変だと思います。もっとも、政策の失敗は自分が招いているという自己責任はありますが。
2009年12月10日
医療政策はどこへ行く‐(1)
「医療費亡国論」からの脱却が不可欠 - 元財務官僚・村上正泰氏に聞く ◆Vol.1
「国民負担率の抑制が、あらゆる政策の出発点だった」
2009年11月25日 聞き手・橋本佳子(m3.com編集長) より http://www.m3.com/
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――『医療崩壊の真犯人』では、様々な要因があるとしながらも、医療費抑制策が一番の医療崩壊の原因であるとしています。
社会保障費の適正な水準は、各国の状況によって違ってくるため、一概には言えません。ただ、日本は既に世界で最も人口の高齢化が進んでおり、対GDP比の医療費がOECD加盟国の中で長年下位である状況は、明らかに異常でしょう。
高齢化が進めば、医療費は当然増えざるを得ない。医療費の中でも効率化すべき部分は確かにあると思いますが、過度に抑制されすぎていた。その結果、現場にひずみが生じ、医師不足、救急搬送、医療事故など様々な問題につながっているのだと捉えています。
――なぜ政府、あるいは財政当局は医療費を抑制してきたのか、どんな政策決定プロセスのために、それが継続してきたのでしょうか。
1980年代から、『医療費亡国論』に代表されるように、医療費の抑制が政策の前提条件になるような雰囲気が非常に強かった。税や保険料負担を抑えないと、経済の活力が失われ、国民の生活が苦しくなるという認識が、政府だけでなく、国民の間にあったと思います。
さらに、1990年代に入り、バルブ経済が崩壊し、経済成長率は低下した。税収も、保険料収入も落ち込む。医療費を取り巻く財政状況が厳しくなってくる。こうした中で、ますます「医療費を抑制しないと、ダメだ」という雰囲気が強まった。
自民党政権時代の経済財政諮問会議でも、「中長期的に医療費を抑制していく」という大きな文脈の中で、医療費の伸び率管理という議論が出てきました。こうした点を踏まえると、20数年来、医療費抑制という基本は変わらず、そこに大きな問題があると考えています。
――2004年7月、財務省から厚労省に出向され、経済財政諮問会議にもかかわっています。「医療費抑制」という目的の是非自体は、議論にならなかったということですか。
当時も、厚労省はそれに対する反論を細々とはやっていました。国際比較でも、日本の医療費をはじめとする社会保障費の水準は低い。一方、ヨーロッパ諸国を見るとGDP比の国民負担率が50%を超えていても、経済成長率が低いわけではありません。英国のオックスフォード大学の公共経済学の大家である、アンソニー・アトキンソン教授は、詳細な国際比較を行い、「国民負担率と経済成長率との間に、統計的に有意な関係はない」という結論を出しています。厚労省がこうした視点で反論しても、経済財政諮問会議では、全く聞き入れられませんでした。
もっとも、厚労省が財務省に財源確保を要請しても、他方で厚労省は他の役所とは異なり、財政当局の役割を果たしている点にも着目すべきでしょう。
――それはどのような意味でしょうか。
国土交通省が「公共事業費亡国論」、文部科学省が「教育費亡国論」などと言い出すでしょうか。彼らは予算を上げろと言い、財務省とのつばぜり合いを展開するわけです。これに対し、厚労省も医療費の引き上げを主張しますが、医療費が増えれば保険料に跳ね返ってくる。保険財政を預かっている立場からすると、「保険料の上昇を抑えるためには医療費を抑えなければいけない」と厚労省は考える。
実は財務省の中にも、「厚労省、特に保険局は、自分たちと近い考え方をする」との見方があります。私は厚労省出向時、財務省の先輩から、「保険局はなぜ医療費の伸び率管理に抵抗しているのか。保険局は我々の味方、近い存在だと思っていたのに」といった内容のメールを受け取ったことがあります。
――厚労省でも、保険局と、医政局をはじめ他局との間では考え方が違うと思われますか。
医療制度改革の議論は保険局中心のところがあり、医政局の主張、意見はプラスアルファで付いてくる程度。私は2006年の医療制度改革に関わったのですが、その前の2002年の小泉内閣最初の制度改革時も、保険局マターが中心で、医政局関連の事項が大きく取り上げられることはなかった。
私は保険局総務課で、「医療費適正化計画」の枠組み作りに携わったのですが、平均在院日数の短縮、療養病床削減の議論において、医政局の存在は薄かった。これらは医療提供体制の話ですから、医政局の観点からの議論が本来的には重要。しかし、保険局で決めて、医政局に「こうしたい」と言っても、医政局から積極的に意見が返ってくることはありませんでした。
――療養病床を削減するのであれば、急性期から慢性期、在宅への流れを踏まえ、医療提供体制の枠組みを考える議論があるべきです。
保険局から数値目標を提示しても、医政局は無反応に近い状況でしたね。その時に限らず、医療制度改革の時には、保険局の声が強い。「最後は、カネに行き着く」という面があります。
――その辺りを変えないと、「財政当局としての厚労省」という側面が強く出てしまう。「国民負担率を50%以内に抑える」という前提条件を変える議論にもならない。
そうですね。最終な部分は、政策の価値判断の話になると思います。「国民負担率を50%以内に抑えなければいけない」と考えるのか、ヨーロッパ諸国のように、国民の合意形成を経ながら、社会保障費を徐々に増やし、充実していくのがいいのか。少なくてもこの10年間くらいは、小さな政府志向が非常に強かったので、「国民負担率は抑制しなければならない」という考えが、あらゆる政策を考える上での出発点になっていた。この辺りはもっときちんと議論されるべきだと思います。
2009年12月9日
仙谷大臣へのエール
12月2日、医療連携や診療報酬体系に関するフォーラム「どうする、日本の医療『新しい医療提供体制の構築に向けて』」が開催され、仙谷由人行政刷新担当相や厚生労働省の審議官、医療団体のトップらが講演しました。
この中で仙谷大臣は、事業仕分けで「診療報酬の配分」などが「見直し」と結論付けられたことに関して、「医療費全体を減らすこととイコールではない」と述べ、医療水準の維持には診療報酬の引き上げが不可欠との見方を示しました。
また、診療報酬については、インフォームドコンセント(十分な説明と同意)への評価や技術料の充実などを含め、全体的に点数を引き上げなければ「医療水準を維持できない」と指摘。将来的には、国民から理解を得た上で窓口負担を増やすことも検討すべきとしました。
さまざまな事業がけずられる中、「医療だけが聖域か?」といった声もきかれます。しかし、国の社会保障たる医療を削ることは、国民にとっての自殺行為です。切り捨て内閣とも称される民主党政権化において、自分の政治生命をもかけた発言には重みがあります。
2009年12月3日
事業仕分けと医療への影響
▽ 行政刷新会議と財務省にみえる政権党の公約違反の動きに抗議する ▽
全国医師連盟 代表 黒川衛
2009年11月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 http://medg.jp
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新政権を担う民主党は、「暮らしのための政治、ひとつひとつの命を大切にする社会」を訴えて政権交代を果たしました。しかし、行政刷新会議による事業仕分けのとりまとめと、財務省の予算編成の動きには、政権党としての重大な公約違反の兆候が現れています。全国医師連盟は、これらの動きに対し、強く抗議いたします。
国民的な観点から、国の予算、制度その他国の行政全般の在り方を刷新すると謳う行政刷新会議には、国民の大きな期待が集まりました。事業仕分けは、業界トップの意を汲んだ族議員が、担当官僚と非公開で協議し予算要請するこれまでのものと異なり、透明性の点で優れていました。また、仕分け作業によって、補助金の中に、天下り機関の維持を目的としたものがあること、事業本来の目的に使われていない無駄な部分があることなどが判明しました。
しかし、行政刷新会議の実態は準備不足が目立っており、政治主導ではなく、財務省主導とも言うべき内容となっています。
1 国家ビジョンとの整合性のなさ
刷新会議による事業仕分けは、新政権が日本経済の成長戦略として謳った、「内需主導への転換、科学技術の促進、医療介護を雇用創出産業に育成する」といった国家ビジョンから離れ、コストと投資の区別が出来ず、本来の事業仕分けとは異なる削減目的のパフォーマンスに陥っています。
2 対象事業選定における政治の責任
事業仕分けの対象事業は、全事業の15%に過ぎず、その対象には、財務省の一般会計と所管の四つの特別会計の事業の多くが除外されるなど、刷新会議には対象事業選択を行ううえでのリーダーシップが欠けています。
3 仕分け人選任の無計画
仕分け人(評価者)の選任に際して、本来の目的に沿った人選がなされておらず、国民新党が指摘するように市場原理主義を推進した有識者が選ばれています。また、仕分け人同士の間でお互いの専門分野が理解されておらず協調関係が構築できていません。
4 財務省主計局による主導
財務省主計局による論点シートは、恣意的で問題のある資料を用いていました。仕分け作業は、実質上、この査定シナリオに沿って論議され、評決されるまでの間、刷新会議側議員は独自の文書を準備せず、司会進行役にとどまっていました。
全国医師連盟は医療領域に関わる事業仕分けの作業を見守ってきました。医療現場に過重労働が横行することが医療安全上の重大な問題となっていますが、仕分け人はこの認識に欠けていました。また、財務省の行った論点説明には、医療費抑制政策を実施した前政権下の財政制度審議会での資料が引用されていました。仕分け人は、財務省主計局による一方的な統計資料を信頼し、短時間の論議で評決しており、この点でも評価の正当性を欠くものとなっています。
財務省主計局によると、診療所と特定診療科への診療報酬配分の減額による財源を捻出することで、病院勤務医対策を補填すれば、新たな医療費財源を増やさずに医療崩壊を食い止めることが出来るとの主張を展開しています。こうした医療費抑制政策の維持は、民主党のマニフェストに逆行するものです。
医療費には無駄があるどころか、現在の医療は勤務医の異常な長時間労働によって漸く支えられ、また莫大な勤務医への不払い賃金があることを、私達は指摘しています。
(参考文献、全医連提言、ユニオン声明)
また、開業医の診療報酬を削減することには多くの問題があります。前回までの診療報酬削減により、多くの診療所が疲弊しています。個人開業医の事業収支差は、零細企業である診療所の事業所の所得であり、従業員のボーナス積立金や退職給与引当金、土地建物・設備投資の為の借入金の元本返済等を含んでおり、これを院長の給与として勤務医と比較することは非科学的です。全国医師連盟は開業医の報酬を削って勤務医に廻すことには反対します。
全国医師連盟は、増加する一方の医療需要を支えるためには、現在の予算、人員では限界があることを主張してきました。医療レベルを維持したいのであれば、政権公約通り、医療費の大幅な増加に転じることを現政権は明らかにすべきでしょう。政府は、これ以上の財源が出せないのであれば、医療サービスの低下を国民が受け入れるよう説得すべきでしょう。
事業仕分けは、本来、削減ありきの作業ではないはずです。評価に際して、日本医療の国際的到達点(最高レベルの医療を先進国中最低の医療費と過酷な労働環境で達成している)や医療福祉予算の経済的波及効果、雇用創出効果など前提となる重要な認識を欠いた議論が展開されたことは誠に遺憾です。
財務省は、19日、平成22年度予算編成に際して、他領域に先んじて医療予算に対する方針をまとめ、「医療費全体の増額をせずに、医療崩壊を食い止めるべき」と発表いたしました。民主党政策集INDEX2009には、「累次の診療報酬マイナス改定が地域医療の崩壊に拍車をかけました。総医療費対GDP(国内総生産)比を経済協力開発機構(OECD)加盟国平均まで今後引き上げていきます。」と明示しており、このままでは明確な公約違反となります。
私達は、26日に100人超の民主党の衆参両議員で結成した「適切な医療費を考える議員連盟」の動きを歓迎いたします。
鳩山政権は、政治主導でなく財務省主計局主導で行った事業仕分けのとりまとめ結果を【見直し】、リーダーシップに欠く行政刷新会議を【刷新】するべきです。また、民主党の公約違反となる医療予算方針を表明する財務省幹部に対して直ちに修正を促す事を求めます。
参考文献
臨時 vol 365 「事業仕分けへの疑問」 医療ガバナンス学会 (2009年11月25日 06:15)
http://medg.jp/mt/2009/11/-vol-365.html#more
中医協炎上、「激しく、時には優しく」と長妻厚労相(2009年11月14日 09:27)
http://lohasmedical.jp/news/2009/11/14092716.php
持続可能な医療体制を実現するための全国医師連盟の五つの緊急提言
http://www.doctor2007.com/teigen090806.html
新政権への医療現場からの要望
http://www.doctor2007.com/teigen090914.html
全医連と全国医師ユニオンは、11/22に共同記者会見を行い、
【医療機関における36協定全国調査結果】を発表致しました。
http://www.doctor2007.com/unikyou.html
「医療機関における全国的な労働基準法違反および勤務医への賃金不払いに抗議する」
全国医師ユニオン声明
http://homepage3.nifty.com/zeniren-news01/union.htm
2009年11月29日
医師が倒れたら国民はどうするのか
▽ 医師の心が折れる ▽
虎の門病院泌尿器科
小松秀樹
2009年11月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行
http://medg.jp
現場の医師は、1999年以後10年間、安全要求と医療費抑制の2つの圧力の中で
疲弊してきた。過酷な現場から黙って立ち去る医師が目立つ。その中で政権交代
が起きた。
総選挙では、医師の60%が民主党に投票したとされる。それ以外の40%を含め
て、すべての医師は、民主党政権による予算案作成過程を、祈るような期待と、
医師独特の諦観を含む醒めた心で凝視している。
祈るような期待の根拠は民主党マニフェストにある。その工程表では平成22、
23年度に「医師不足解消など段階的実施」のために1.2兆円の予算がつぎ込まれ
るとされている。マニフェスト各論の3番目は年金・医療であり、「医療崩壊を
食い止め、国民に質の高い医療サービスを提供する」と書かれている。
醒めた心は、最近の動向に由来する。長妻厚生労働大臣は、11月3日、勤務医
への配分を手厚くすることで、開業医と勤務医の所得格差を解消すべきだと強調
し、医療費を医師の所得問題にした。日本人の感情論は、個人所得に対し、事実
認識と思考を飛び越えて条件反射する。戦国時代の恒常的な飢饉に対応するため
に発生した農村共同体の生存戦略と、享保、寛政、天保の三大改革などの歴史的
積み重ねは、金銭と奢侈に悪のイメージを重ねることを日本人に刷り込んだ。長
妻発言は医療費の抑制圧力にしかならない。
さらに追い打ちがあった。財務省は、巧妙にも、診療報酬を事業仕分けの中に
持ち込んだ。事業仕分けでは、予算圧縮方向だけの乱暴な感情論がまかり通る。
事業仕分けに持ち込まれる他の案件は、無駄遣いがあると想定された事業である。
ここに診療報酬が持ち込まれたことに、医師は違和感と疑念を覚え、諦観を小出
しにしつつ失望に備える。
現場の医師は、一義的に、対立を生じやすい医療環境、苛酷な労働条件の改善
を求めているのであって、所得を増やすことを望んでいるわけではない。そもそ
も、70%の病院が赤字である。病院には多様な職種の人たちが勤務する。労働力
の総量が不足している。診療報酬の引き上げで医師の給与が増えるとは思えない。
開業医は設備投資を自前で担う自営業者である。新型インフルエンザ騒動では
厚労省の不手際に翻弄されつつ、国民のために獅子奮迅の活躍をしている。開業
医の収入を妬む勤務医はいない。
マニフェストは絶対ではない。未曽有の不況下にあり、国債発行残高は第二次
大戦末期に匹敵する。幸い日本では個人の貯蓄が大きく、租税負担は低い。国民
負担を引き上げる余地が十分にある。国民の不安を解消して経済を回るようにす
るためには、社会保障の充実が必須である。診療報酬を引き上げるためには、い
ずれ増税しなければならない。
予算案は政権の意思の表現である。長い過酷な医療費抑制から脱したことを医
師に理解させる必要がある。分岐点は医療費が増加に向かうのかどうかにある。
この分岐点は、医師の心が折れるかどうかの分岐点でもある。
日本の医療は何を目指すのか
鳩山首相を議長に戴いた「行政刷新会議」が事業仕分けを行っています。その中で医療を担当する厚労省の事業についても例外ではありません。
事業仕分けはそもそも財務省がやってきた予算編成を、仕分け人たちが公開で行うということです。不必要な部分を削るのは大切ですが、必要なものまでそぎ落としてしまっては意味がありません。
わが国は世界で最も効率的で、高度の医療を国民に提供してきました。しかし、その医療体制は崩壊が始まっています。医療は社会保障の一つであり、これがなければ国が国として成り立ちません。
医療費は病院に支払われる「診療報酬」と「補助金」とに分かれます。補助金は役人が医療機関の締め上げに使う道具なのでどんどんなくせば良いと思いますが、診療報酬をこれ以上削減することは医療機関を兵糧攻めにします。
診療報酬はこれ以上削ることはできないほど削られています。その中で医療費が他省庁と同じレベルの事業仕分けの対象とは違うものとして考えるべきです。
医療が崩れれば国が存続できません。高齢化が進み、国民の医療に対する要求も多様化しています。今後、私たちは何を医療に求め、どんな医療体制を構築してゆくべきなのかを考える時期にきています。そのためには官も民、各界を含めて膝を突き合わし、本音の議論をしなければなりません。
2009年11月14日
医療 記事バックナンバー
これまで医療について掲載してきた記事のバックナンバーとなります。
□医療費削減と医系技官の利権 2009年10月24日
■日本の医療を長妻氏は維持できるのか 2009年10月21日
□長妻氏には医系技官改革の存続を望む 2009年9月26日
■ワクチン接種に関する賠償責任 2009年7月25日
□社会保障としての医療 2009年7月19日
■人の死を誰が決めるのか 2009年7月14日
□介護問題の重さ 2009年4月22日
■ワクチン後進国日本 2009年4月17日
□小さな政府論がもたらしたもの 2009年4月5日