介護問題の重さ
タレントの清水由貴子さんがお父さんの眠る墓地で自ら命を絶ちました。私たちの世代にとっては、欽ちゃんの娘役としてお茶の間の人気者というイメージが強いのではないでしょうか。その清水さんがタレントをやめ、お母さんの介護をしていたということを今まで知りませんでした。心からご冥福をお祈りします。
今回の清水さんの死は痛ましいものであるだけでなく、私たちに介護の大きな問題を投げかけていると思います。彼女のそばには介護をしていたお母さんが車いすに乗ったままでした。昨年、自宅で介護をしていた母を失った私にとってはとても他人事とは感じられませんでした。奇しくも清水さんのお母さんと私の母は同じ年です。果たして清水さんの死が、お母さんの介護だけにあるかは分かりませんが、大きな要因であることは間違いないと思います。
在宅介護の大変さは経験したものでなければ分からないところがあります。介護を受ける側は自分の体が自由にならない大きなストレスがありますし、介護している人に対し申し訳ないという気持ちがいつもあります。介護する側は自分の時間や仕事を介護に費やさなければなりませんし、何時まで続くかわからない介護に対して精神的にも大きな負担を抱えます。
はたして今の介護を支える状況はどうかというと、かなりお粗末であるといわざるを得ません。介護保険は本来「介護をする人の負担を少なくする」という目的で導入されたにも関わらず、年々保険で許される範囲が狭まっています。例えば、ある人の家のトイレをヘルパ-が掃除したとしましょう。そして介護される人が寝たきりだったとします。そうすると「なぜトイレを使わない人が要介護者なのにトイレを掃除しなければならないのか?」とクレームをつけられます。当然汚物などを流す場合もあるのですからトイレ掃除をすることは妥当と思われます。
このように介護保険で使われる範囲の締め付けが厳しくなったのは、もともと介護の何たるかを知らない厚労省の役人が作ったからなのです。これに加えて、次々と辞めるヘルパーたち、あまり役に立つとも思われないケアマネージャー。もはや介護する側の負担を軽減するどころか、時には負担を大きく強いることになっています。
では介護保険を使わずに自費で自宅介護をしようとすれば、経済的負担は必至です。加えて、はたして本当に信頼できる介護人が見つかるかどうかもわかりません。何度も面接を繰り返しては辞める。こんな状況は経済的にも精神的にも介護する側、受ける側に大きな負担を強いるのです。
欧米では約半数が自宅で最期を終えます。日本では、「畳の上で死ねる」人はほとんどいません。はたしてこれが人間の生きる姿でしょうか?
少子化が大きく叫ばれますが、安心して老いることのできる社会でなければ、安心して子どもを産むこともできません。人間は生まれてやがて死ぬ、という根本原理をはたして厚労省の人間はわかっているのでしょうか?
幹部と呼ばれる厚労省の官吏は、「自分や家族が病気になれば特別のケアができる」医療機関を確保しているといわれます。もし本当に介護の状況をよくしようと考えるならば、幹部のすべては自分の家族を自宅で介護することを義務付ければ良いと思います。排泄の世話、食事のみならず、精神的な負担がどれほどのものか自分で体験してはいかがでしょうか?
2009年4月22日